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桜のライン山南敬助の年譜桜のライン



和暦 西暦 月日 事項
天保4年
  7年
1833
1863
奥州仙台の剣道師範山南某の二男として生まれる
(生まれた年には二つの説があり)
嘉永 6年 1853 4.15 小野派一刀流の大久保九郎兵衛門人として、中山幾之進と立ち合う
この間に、近藤勇と出会い、天然理心流の門人となる
万延2年 1861 1.14 近藤・沖田・他1名と日野の佐藤彦五郎宅を訪れ、泊まる
1.15〜16 日野の古谷道場で新年の稽古を行う
1.17 日野の佐藤彦五郎宅を出立して、近藤らと共に八王子に向かう
文久元年 8.27 六所宮にての近藤勇四代目襲名披露の野試合に参加する
文久2年 1862 1.19 近藤、沖田と共に小野路村を訪ねる
文久3年 1863 1.17 浪士組参加の挨拶のために、沖田と二人で、小野路村の小島鹿之助宅を訪ね、一泊する
この時に、浪士組として上京するにあたって漢詩を詠む
1.18 沖田と共に小島家を出立する
2.5 伝通院にて、浪士組として上京するにあたり、道中心得が言い渡され、編成表が発表される
山南は六番隊
2.8 浪士組として、江戸を出立する
2.22 草津宿にて、村上俊五郎の発言に対して烈火のごとく怒る
2.23 京の壬生村に着く
3.3 浪士組に江戸帰還の命令が下るが、試衛館のメンバーと共に残留することを決意
3.10 試衛館派のメンバーや芹沢派らと共に、将軍の上洛から東下までの間の市中警衛を願う嘆願書を会津藩に提出する
3.15 正式に会津藩の預かりとなる
3.25 壬生を訪れた会津藩士本多四郎と共に壬生狂言を見物する
4.16 京都守護職松平容保公に拝謁
上覧試合を行い、山南の相手は沖田総司
4.17 土方や沖田らと共に、千人同心の井上松五郎と内談する
4.21 将軍家光公の護衛のために下坂し、八軒屋京屋に泊まる
5.21 大坂より京へ帰着
6.1 永倉新八と共に出掛けていたところ、四条通御幸町にて井上松五郎と出会う
6.2 浪士捕縛のために、下坂する
6.3 大坂力士と乱闘になり、山南も力士を斬ったと云われている
6.10 近藤らが30石舟にて帰京しているが、山南については未確認
7.2 壬生浪士組が大坂に在中していたが、山南については未確認
8.7 相撲興行を行う
8.18 禁門の政変にて、出動する
8.20 『新選組』の隊名が下される
9.18 芹沢鴨の暗殺に加わったという説があり
11.16 一橋慶喜公に付いて新選組は下坂したが、山南については不明
文久4年 1864 1.2 新選組は将軍家茂公の警護のために下坂したが、山南については不明
1.15 大坂にて警護を行っていた新選組のメンバーが帰京する。山南については不明
1.27 小野路村の小島鹿之助宛に年賀状を記す
文久3年の夏から、文久4年の1月の間に、岩城升屋か、鴻池にて不逞浪士と戦って負傷したと思われる
2.2 日野漣光寺村名主の富沢政恕が壬生屯所を訪ねるが、山南は病にて臥せていて逢えず
元治元年 6.5 池田屋事変。山南は出動できず
7.19 禁門の変。山南は病のために参加せず
元治2年 1865 2.22 脱走したと云われている
2.23 死去 享年33(天保4年生まれで考えた場合)
参考文献:菊地明・伊東成郎・山村竜也『新選組日誌 コンパクト版(上)』新人物往来社  新人物往来社編『新選組銘々伝 第四巻 清水隆「山南敬助」』新人物往来社  新人物往来社編『新選組史跡事典 東日本編』新人物往来社)  『「日野宿叢書 第四冊 佐藤彦五郎日記 一 」佐藤彦五郎日記に見える主な新選組関係記事年表』日野市 



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