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桜のライン 山南敬助ゆかりの地 仙台編 桜のライン 

山南敬助が生まれ、少年時代を過ごしたのは奥州仙台だったと云われています。しかし仙台藩のどこで生まれ、どこで過ごし、どのような生活を送っていたかということはわかりません。だからゆかりの地と言っても、特定できる場所はありません。私的な目線で見た山南敬助ゆかりの地です。

仙台の町 仙台駅の近くにあるAER(あえる)という東北一の高さである高層ビルの最上階のテラスから見た現代の仙台の町と雪をかぶった奥羽山脈。
山南敬助は、約170年前にこの地で生まれ、この地にて幼少時代を過ごしたと思われます。
そして山南も雪をかぶった奥羽山脈に、また時代が移っても変わらない仙台のこの青空を見て過ごしたことでしょう。
この地で何を想い、江戸に行くことを決めたのだろう。
仙台の町と太平洋 こちらは、仙台城址から見た現代の仙台の町と、遠くにかすかに見えるのは太平洋です。
山南敬助が亡くなってから5年後の慶応4年(1868)10月、土方歳三と新選組は仙台を後にして、船にてこの太平洋を北上していきました。
芭蕉の辻 仙台城の大手門から城下を東西に貫く幹線大町と、南国文町を通る奥州街道が交差する十字路は、芭蕉の辻と呼ばれております。
そしてここから、江戸の日本橋まで93里(約365キロ)です。山南敬助もここを通って、江戸に向かったかもしれません。
広瀬川 仙台城址近くを流れる広瀬川です。現代の建物以外さえ見えなければ、昔とあまり変わらない風景かもしれません。透き通った川。夏には川で遊んだかもしれませんね。
仙台城の石垣 仙台城は青葉城とも言われます。その城址の石垣です。訪れたのが冬だったものですから、数日前に降った雪が残っていました。
山南敬助は武士の家に生まれたと考えられますので、この城下辺りで過ごしていたと思われます。そして山南も雪が積もった仙台城を見たことでしょう。
仙台城址 仙台城址の碑です。またこの仙台城にて、慶応4年(1868)に仙台藩の新政府の降伏が決まった時、山南敬助の同志であった土方歳三も榎本武揚と共に登城したと云われています。
政宗の銅像 仙台藩の初代藩主である伊達政宗の銅像です。関ヶ原の戦いでは、徳川家康の東軍につき、また大坂の陣でも功をたて、62万石を領し、仙台藩の基礎を築き上げました。徳川家康、秀忠、家光の3代の幕府を支えてきました。
山南敬助はそんな初代藩主・伊達政宗公をどのように見ていたのだろうか。
訪問・撮影日 平成19年(2007) 2月5日〜6日
参考文献:新人物往来社編『新選組史跡事典 東日本編』新人物往来社


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